毎日がお遍路

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2004年 HANAの「歩き遍路日記」  − 5日目(最終日)

11月23日(火) 祝日
04:30  起床 なんで早く目がさめてしまうのかな。でも、熟睡しているのだろう、寝不足の感じはしない。

07:00 朝食 チェックアウトしてから、ホテルのカフェで朝食。なんと、お遍路さんには朝食が「お接待」でサービスされるのだ。ありがたや。

隣のテーブルで先に一人で食事をしていた年配の女性が「今日はどこに行くの」と声をかけてくる。彼女は荷物はまだ部屋に置いているようで服装も普通だったが「私もそう(お遍路)なのよ」という。(こちらは、金剛杖を持っているので、一目瞭然なのです)

関西の人で60歳近いというが、そんな年には見えない。2年前、一人で八十八箇所を全部通しで歩いて回ろうとしていて、29番まで行ったところで、家に呼び戻された。呼び戻されたのは、ご主人が病気になったから。それから1年半看病して看取った。その後のいろいろなことが落ち着いたので、また続きを回りに来た、という。

札所に「至急帰れ」みたいな張り紙がしてあったのだそうだ。だから、今日これから行く29番はショックな思い出の場所なのだと言っていた。

「今回はもう帰らないつもりで出てきたの。資格とかみんな持ってきたから、もしかしたらどこかで職をみつけて、居着くかも」なんて言ってる。

ご主人は肝臓ガンだったというので、「私も乳がんを体験してるんですよ〜」というと、その人自身、結婚前に乳房にしこりがみつかり『もし癌だったら結婚しない』と言われ、摘出して検査して結局良性だったので、結婚したのだという。(ひょえ〜)それで、乳がんのことも良く知ってた。

ホテルの朝食の席で、ほんの10分余りの間に、はじめてあった人といきなりこんな話をしてしまうのも、お遍路同士ということがあるからだろな。でも、お互い、話に重たい暗い感じはなくて、不幸な体験をしたことへの愚痴というよりは、『でも、いろいろあったけど今ここにこうして来ることができて、お互いよかったね』というようなニュアンスで話しているので、すがすがしいのだった。

07:30 出発 その場は名前も聞かず別れたけど、その後駅前でまた会ったので、横断歩道を渡りながら納め札を交換した。(そうか、こういう場合はちゃんと住所を書いておいたほうがいいんだな)

*「納め札」というのは、お遍路が札所をお参りした証に納める紙の札。住所名前を書く欄がある。札所で納めるだけでなく、「お接待」されたときにはお返しに渡す。また、お遍路同士の名刺代わりにもなる。
昨今は悪用されることもあるそうなので、私はフルに住所を書かないでいた。

バスの時間まで少しあるが、その間に郵便局でお金を下ろして駅のお土産コーナーで、実家などに送るお土産を(昨夜めぼしをつけておいた「かつおのたたき」をクール宅急便で)送ってしまおう。

ところが、郵便局のATMは平日なら朝7時からなのだけど、今日は祝日なので9時からなのだった。ガーン。

お金はお土産代以外は、まだ充分足りているので大丈夫なのだけれども、予定が狂った。時間が有り余ってしまったので、荷物の一部をコインロッカーに入れたり(今日はもうここから夜行バスで帰る)、バス停のベンチで書き物したりしていた。

09:00 竹林寺へ行くバスというのはこの時間が一番早い時間だったので、ずいぶんロスタイム。本当は、昨日帰ってきたルートを電車と歩きで行ってしまえばずっと早かった。でも、また昨日の同じ山道をあるくのはつらい。車道を通るにしても、結構急だと思うから、よしとしよう。

かわいいボンネットバス。バス停で一緒になったおばあちゃんが隣の座席に座り、「71番へ行ったらこれ買うといいよ」と鞄につけたお守りをみせてくれてた。平べったい白い石みたいな形で大師の絵がついた根付のようなもの。「71番なんて、いつ行けることやら〜」といいつつ、お守りを触らせていただく。

09:20 竹林寺着 昨日歩いて上がった「五台山」をバスで登った。やはり、バスでもかなりきついと感じる。バスを降りるときに、おばちゃんたちが運転手さんに「(坂道が急で)大変やねえ」と言っていたくらいだ。

さて、竹林寺の門前で一礼して、昨日の続きを歩き出す。山道の下り坂。今日は、頑張れば、もしかしたら34番までいけるかもしれない、そうでなければ33番までいき、桂浜にも寄ってみたい。足は痛いけど、疲労感はないし、ラストスパートで頑張りたいので、まずは最初の32番までの6kmをできるだけ早く歩いてみようと意気込んでいた。11:00に32番を出られるくらいだったら、今日34番までいけるかも。

11:00 32番
禅師峰寺
(ぜんしぶじ)
ところが、かなり急いだつもりでも、札所近くなってまた山道があったりして、着いた時点でもう11時。33番雪蹊寺までは7km以上あるしここから先は詳しい地図もないゾーンなので、迷ったりしたらもう34番までは無理だ。

夜行バスは19:30発なので、バスに乗り遅れるような心配はないのだが、朝お土産が変えなかったので、高知市内にもどってから少し時間がほしい。『お土産買う余裕なんてないかも』と実家には言ってあるけど、いろんな人に心配と迷惑をかけているのだから、そうもいかない。

今日は午前中は一人でもほとんど休まず頑張ったし、偉かった。34番はあきらめて、とにかく33番まで行こう。


32番・禅師峰寺で出迎えてくれた猫。
汗を吸った私のザックが芳香(?)を放つのか、スリスリして離れない。(どうも猫がでてくるなあ。)

12:30 昼食

今日のランチ
国道から静かなへんろ道(といっても、このへんは山道ではなく車道)へ入ってから、田んぼの中の、なんでもない道端に座って今日のお昼。思ったとおり、この辺では食堂も店もなさそうだ。昨夜、非常食を買っておいて正解。

さて、この先はいよいよ地図のないエリア。ホテルでコピーしてもらった地図は位置関係がわかるだけの、大まかな地図なので歩くには役に立たない。街中では「へんろ道」の道標も、ガードレールなどに直径5cmくらいの丸いシールがはってあるだけだったりして、見落としやすい。

手持ちの歩き遍路用の地図が途切れる寸前の、トンネルのところで、さっそく迷った。道を間違えた。本当はトンネルの南側の出口の前を横切る道を歩いているはずだったのに、北側にでてしまっている。念のためコンパスで確認。コンパスなんて使うこともないだろうと思ってたけど、使うことになった。

それにしても、たいして難しくもない道で、まだ手持ちの地図に載っている地点を歩いているというのに、間違えるとは。。。情けない。ちょっとめげる。

やっぱりトンネルの反対側にいることがわかったので、トンネルをくぐる。幸い、新しくて綺麗なトンネルで、歩道も広く明るい。車がびゅんびゅん通るので、騒音にまぎれて景気づけに、ケセラセラセラセラリンコ♪(ちびまるこのエンディング曲)を大声で歌いながら歩く。ホントに勇気が湧いてくるんだこれが。
*(歌詞ちょっと違うかもしれないけど、こんな感じ)

♪迷って 悩んで 涙あふれだしても
明日はお日様 きっと 輝いているよ

何かでつまづいたり
立ち直れなかったり
いろんな事がある 人生だから

それはそれなりでも いいのさ
ケセラ セラセラセラリンコ
勇気が湧いてくる 呪文さ
アララ カタブラツルリンコ♪

迷ったらどうしよう、間に合わなかったらどうしよう、
ってびくびく歩いてるから迷うんだよね。

何が起きても、なんとかなるさ。どんと来い!
って思ってればいいんだ。

私にはもう、良いことしか起きないもんねっ!!

よっしゃ〜!!

トンネルを出ると海も見え、へんろシールも発見。この辺は新興住宅地って感じで、人通りもないし、道も聞けないかなあ、なんて思っていると、民家の庭先に、真新しい綺麗なログハウスのような無料接待所があった。

せっかくだからお休みさせていただこうと座っていると、家の中からおじさんがでてきて「お茶あげようか?ご飯は食べたの?」など聞いてくれ、缶コーヒーとクッキーをご馳走になる。

おじさんはここで、へんろ宿をはじめるのだが、喉の癌になり予定が遅れてしまっている。今、放射線治療に毎日通っているところで、しゃべりづらい。でも12月にはオープンできるつもり、とのこと。それでまたつい「実は私も乳がん経験者なんですよ」と話す。

道を教えてもらって、写真を撮らせてもらって、納め札を渡して別れる。言葉に出して言いはしなかったけど、私がこうして乳がん体験後もぴんぴんして歩いていることが、もしかして、ちょっとでも、おじさんの希望になってくれたらいいなと思う。

歩き出してから、ふと考える。今日はなんだか朝から癌ネタばかりだなあ。これはどういうメッセージなんだろ?

私も自分が癌とわかって、一度は「死ぬのかもしれない」とリアルに思った時もあった。でも今はこうして元気にしていられる。10年近くもたつと、もうあたりまえみたいに思ってしまっているけれども、やっぱりこれは、奇跡みたいな幸運の積み重ねで今があって、私は「生かされている」。生かしてもらっている。

歩き遍路をしようと思い立って、準備やトレーニングをしてきて、それでやっとここに来れて「我ながらこの一年は偉かった」なんて、思っていたけれども、本当は自分だけの力じゃなくて、いろんな人やいろんな事に助けられ、そういう諸々の「お陰様」で今、ここにいることができるんだよね。

自分一人の力で生きてるなんて、傲慢な気持ちになっちゃいけないんだ。そしてまた、このことを、いろんな形で、お返ししていかなければいけないんだと思う。

最終日ということもあって、おセンチになってるのかな。住宅街を歩きながら、一人でちょっと涙ぐむ。今回まわる札所は、あとひとつ。早く帰りたいような、もっと歩いていたいような・・・。


浦戸大橋。ここを歩いて渡ったのよ〜
浦戸湾を越えるには「渡し」(フェリー)もあって、タイミングよく乗れればそのほうが早いとおじさんに教えられたけど、いろいろ迷ったあげく、浦戸大橋を渡って一旦桂浜の方へいく遠回りのルートの方を選んだ。

浦戸大橋は歩道に柵もなく、はみだしそうなくらい狭いし、坂だし、車も横を次々通って、ものすごく怖い。トラックが通ると、帽子が飛ばされそうになる。こりゃあ、現代の「遍路ころがし」(難所)かも。

車道をまっすぐ行くと桂浜だが、橋を渡りきったところで車道をそれて、へんろ道に入る。

橋の上から
静かな漁港をしばらく歩く。このあたりではまた、あいさつすると返ってくるし、「頑張って」とか「気をつけて」とか声をかけてくれる率高し。(都会ほど低し)

33番
雪蹊寺
(せっけいじ)
川を越えると、古い町並み。古いと言ってもせいぜい昭和初期くらいだけど。この風景をモノクロにしたら、つげ義春ワールドて感じ。

・・・ということで、モノクロにしてみたのだけれど、目で見たらステキに思えた町並みも、写真にしてみると、ちっともよくなかった。空に電線がびっしり。写真を撮っている時には気が付いていなかった。目は無意識に、邪魔なもの、見たくないもの(この場合は電線)を消して見ているらしい。(Photo shopで加工して消すこともできるけど、あえて消さず)

33番・雪蹊寺には3時過ぎに到着。これが今回の日程でまわれる最後の札所になるのだが、本堂はぴかぴかの新しいもので、お参りしている人も結構たくさんいて、ラストの感動をじっくり味わう雰囲気ではなかった。ラストの札所で母たちにお守りを買おうと思っていたのだが、何も売っていなかった。

家族連れというか親戚一同みたな老若男女5〜6人の一群とお参りのタイミングが一緒になってしまったので、一緒に混ざってお経を読む。ここまでずっと一人で読経してきたから、こういう風に大勢での読経も楽しいな。

納経所で書いてくれたおじいさん(住職か?)が、いろいろ面白おかしく、ご自分の修行時代の話やら世間話やら話をしてくれる。話がなかなか止まりそうもないので、バスの時間も気になるし(そもそも、ここからバスがあるのかないのかもまだはっきりわからないし)、そわそわしていると、納経帳を持った次の人が入ってきたので、そのタイミングでおいとまする。

境内で果物を売ってたおじさんにバス停をきくと、丁寧に教えてくれて、すぐにわかった。バスもちょうど出発するところで、すぐ乗れた。

地理的には33番のほうが31番、32番より高知駅に近いしバスの便もたくさんあるんだな。全然わかっていなかった私!

16:00 夕食 今日もなんだかんだで20km近く歩いてしまった。ヘロヘロだけど、まだひと仕事。まずは、駅の2階のレストランで五目そばを食べて一服。気が緩んで、眠気もでてくる。

高知駅の駅前はホテルばかりで、繁華街は「はりまや橋」付近のようだ。今朝乗ったバスの周遊券で、路面電車に乗り降りできるので、はりまや橋までお土産を見にいくことにする。

お土産を選んで、駅にまた戻り、ロッカーの荷物を出して、荷物整理し、身支度を整え、サンドイッチを買い、トイレに入り、などなどしていると、あっというまにもうバスの時間。

4時に駅に戻ってきたときは、バスまで時間が余りすぎだなあ、と思ったが、焦らずひとつひとつのことがこなせて、このくらいでちょうどよかった。

19:30 夜行バス
高知出発
来たときのバスより乗り心地がいいような気がする。お遍路帰りの人は誰もいないようだ。最初の三時間ぐらい熟睡して、後は寝たり起きたり。真っ暗のバスの中で、いろんなことを思い出しては反芻する。

あそこであの人にであったことはどんな意味があったのだろう。あのことと、あのことは、どんなつながりがあるのか。パズルみたいに頭の中で、いろんなピースをあちこちはめ込んだり、組み立てたりしてみる。

最初の日。24番の納経所のおじさんに「何がきっかけでお遍路に来たの?」と聞かれて「よくわからないけど、とにかく来たかった」というと「それじゃ、歩いているうちにそれがわかるかもしれませんね」と言われた。

5日間歩いてみて、わかったような気もするし、わからないような気もする。

とにかく怠け者で根性ナシの私が、毎日20kmも歩くような旅をすることになるなんて、人生、何が起きるかわからないものだ。まったく。

「限界」は自分が作っている。限界が限界でないと自分が思えたとき、限界はもう限界でなくなっているのだろう。

06:30 東京駅着 予定より30分早く到着。ラッシュにならないうちにと、速攻で帰宅。

めでたしめでたし(?)

(本日の歩行距離:20km)
End

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