日本の良いもの・美しいもの
花鳥風月日記
◆この文章は、「ラシサ」2001年2・3月合併号に掲載されたものです。
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如月・弥生 
(二月・三月)
お香の世界
文・HANA

香りのちから

 ある朝目が覚めて「あ、季節が変った」と感じる時があります。それは、木々が色づいたとか、何の花が咲いたとかいうふうな、はっきりとした事象ではなく、空気の中に微かに混じっている「匂い」のせいだったりします。何の匂い、と特定できるものではなく言葉で説明するのはむつかしいのだけれど、自分にとっては確かに「冬の(あるいは春、夏、秋の)香り」と思えるものなです。

 香りというものは、色や音よりもさらに微妙であいまいなものに思えますが、香りによって呼び起こされる記憶やイメージというものは、思いのほか鮮明です。香りは薬効的な成分を持つため、気分を変えたり、その場の雰囲気をつくる力があるようです。最近はアロマテラピーの流行で、香りへの感心が高まっていますが、日本には、茶道や華道と並んで「香道」というものもあるくらいで、日本人と香りとは、ずっと昔から想像以上に深いつきあいだったようです。

日本人と香り

 聖徳太子の時代、仏教の渡来とともに香木も日本に入ってきたのではないかといわれています。そしてはじめは供香といって仏前を清める宗教的な使用法で使われていました。奈良朝後期から平安朝になって貴族たちの間で、香を衣服や髪たきしめる空薫物(そらだきもの)の習慣が生まれました。この時代の香は香木そのものではなく、香木を粉にして密で練り固めた練香が中心でした。

 「源氏の薫り」(尾崎左永子著・求龍堂)という本を読むと、源氏物語の中には香りに関する記述がいかに多いか、また、香りによって登場人物の身分や性格までが表現され、描き分けられていることに驚かされます。それほど当時の生活の中に香りというものが深く入りこみ、重要な意味を持っていたということでしょう。
 また、「体臭をごまかすために香をたきしめていた」とよくいわれますが、どうやらそうではなさそうで、著者の尾崎左永子さんは、『(日本人は昔からきれい好きで匂いにも敏感だったので)清潔にした肌や髪にくゆってこそ、薫香の微妙な味わいが意味をもったはずで、肌や髪の臭気をかくすために薫香が発達したとは、到底信じられない』と書いています。

 空薫物の流行にしたがって、十世紀ごろには二種類の香を調合してその技術や匂いの優劣を競う薫物合(たきものあわせ)という遊びが生まれました。十四世紀頃になると、匂いの優劣を競うだけではなく、匂いを和歌で説明するというふうに、文学との結びつきが強くなってきます。練香ではなく香木そのものをたいて楽しむことが中心になりました。そして、組香(くみこう)というものが生まれます。

 組香とは、数種類の香を組み合わせ、香りをかぎ当てる遊びの要素と、香りの組み合わせで文学作品など一つのテーマを表現して楽しむという要素を持つものです。そして、作法や道具が整い、「香道」という形になって現代まで受け継がれています。

香道について
 香道の作法や香席の流れはおおむね茶道と似ており、香元が、点前(てまえ=香をたく一連の動作)をし、その香炉が客の間をまわり、客は香りを味わうというものです。茶道との大きな違いは、「香りを当てる」というゲーム的要素があるということです。そしてただ「当てる」だけではなく、答え方に趣向が凝らされているところが、組香の面白さです。

 ただし、「香りをあてる」ことは第一目的ではなく、香りそのものを味わい楽しむこと、そして香りによって浮かぶイメージのなかでどれだけ自分を遊ばせることができるかがポイントのようです。
 そしてそのように香を楽しむためには、教養を深め感性を磨き、自分を高める必要があります。単なる遊びでも単なる楽しみでもなく、遊びでもあり楽しみでもあり、しかし修行でもあるわけです。

はじめての香席で
 ところでかくいう私は、香道には、ずっと憧れつつ、一度も体験したことがありませんでした。今回この原稿を書くにあたって、初めて香席に参加させていただいたのです。

 もちろん、香道のなんたるかなど、理解するまでには至りませんが、やはり百聞は一見に如かずで、書物からは知ることの出来ない大切なものを学んだような気がします。

 はじめて香席で香木の香りをかいだとき、一瞬にして、現実のすべてのしがらみから解き放され、別の世界に飛び移ったような気がしました。なにやら大袈裟ですが、本当に、そんな感じがしたのです。香席に張り詰めている静けさと程よい緊張感のなかで、流れるような点前の動作を見つめているうちに、気持ちが落ち着きいてきます。そして、香を「かぎあてよう」とすることによって、集中力が強まり感覚がとぎすまされてゆくのだと思います。香りは想像していたよりもずっとずっと微かで、やわらかく、優しく、そしてどこか懐かしいものでした。

 香道においては、香を「嗅ぐ」と言わず「聞く」と表現します。香に問いかけをして、その答えを聞くという心なのだそうです。私には、このことが、香道を理解するうえで、とても大切なことのように思えます。香を聞く、香と語らうというのは、実は、自分自身を見つめ、自分自身と語らう時間なのかもしれません。

 香道の興った室町時代は、下克上の戦乱の時代でした。自分を見失いがちな混乱した時代であるからこそ、そのような時間が求められたのではないかと思います。人々が混乱し、「癒し」が求められる時代に香りが流行するというのは、おそらく歴史の中で何度もくりかえされていることなのでしょう。

香を聞く こちらのページもご参考に

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